同居しているじぃじのブログ
naramoblogでは、今日のじぃじ を投稿しています。じぃじとは一緒に住んでいる80歳越えの父です。じぃじからは「くすっと元気になること」や、「新しい発見」を日々教わっています。じぃじのプロフィールはこちら
じぃじはどんな人生を生きていたかは知りませんが、どんな出来事があった人生を歩んできたのかをまとめてみました。じぃじが11~15歳までの簡単な時代背景です。
じぃじ11歳(1952年)昭和27年
引用:Wikipedia
ジャズは忘れたけど、白井義男は覚えてる!
フライ級のボクサーで、痩せててめちゃめちゃ殴られるけど勝っちまう!
ジャズは忘れたって表現が面白いなぁ
じぃじ12歳(1953年)昭和28年
テレビ放送開始時は、スタジオカメラ3台・中継用カメラ2台の合わせて5台のカメラでした。
短期間に時代は「テレビ以前」「テレビ以後」と時代を分けなければならないほどの変化を短期間に社会全体にもたらすことになりました。
参考:NHK
テレビも覚えてるなぁ。
電気屋さんでテレビを見えるように設置してくれてるから、相撲とかプロレスとか見に行ったわけ~
背伸びしながら見たのを覚えてる。
じぃじ13歳(1954年)昭和29年
引用:博多の絆
昭和29年2月8日に、マリリン・モンローとジョー・ディマジオ夫婦が来日しました。
福岡の中州にあった国際ホテルには、約5000人のファンが集まったそうです。
滞在時は3日間連続開業間もないフレンチレストラン「ロイヤル中州本店」へディナーに来店。
モンローはオニオングラタンスープを大変気に入り、毎日注文したそうです。
マリリン・モンローについてじぃじは、「興味なかったので分からなかった」とのこと。興味が出るお年頃ではなかったということと解釈します。
ジョー・ディマジオはヤンキースの4番バッターで、野球の神様みたいな扱いをされている「ベーブ・ルース」と同時代の人だ。
じぃじ14歳(1955年)昭和30年
じぃじ15歳(1956年)昭和31年
石原慎太郎の小説の売れ行きがすごかった~
俺は読んでなかったけどね。
読んでなかったんかーい!当時15歳ですしね、
三橋美智也より春日八郎を推すじぃじ
春日八郎の、えっと、なんだっけ、「赤いランプの終列車」それがヒットしたの!昭和26年26年!
春日八郎のヒットした歌に、三橋美智也の歌をくっつけるとものすごく売れたわけ(おそらくレコードの意味)。65万枚くらい、めちゃくちゃ売れたのよ。
三橋美智也より春日八郎の方が印象に残ってるのは、「赤いランプの終列車」と「お富さん」!
福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身の演歌歌手。『赤いランプの終列車』『お富さん』『別れの一本杉』などが有名である。
Wikipediaより引用
ごくたまに歌っているじぃじ
じぃじはごくたまに「のりのりで歌っている」ことがあります。何を歌っているか分かりませんが、楽しそうで何よりと思います。
国家公務員を長年勤めあげた後、現在は家事をしたりパソコン3台・iPhoneで「Youtube」を見たり楽しんでいるように見えます。※パソコンは娘たちからのプレゼントや、娘たちが使わなくなったものを使用しています。
毎日を楽しもうとすることが長生きの秘訣なのかなぁと思います。
人生100年時代と言われていますね~