同居しているじぃじのブログ
naramoblogでは、今日のじぃじ を投稿しています。じぃじとは一緒に住んでいる80歳越えの父です。じぃじからは「くすっと元気になること」や、「新しい発見」を日々教わっています。じぃじのプロフィールはこちら
じぃじはどんな人生を生きていたかは知りませんが、どんな出来事があった人生を歩んできたのかをまとめてみました。じぃじが16~17歳までの簡単な時代背景です。
じぃじ16歳(1957年)昭和32年
長嶋茂雄はものすごい人気だった~
ラジオで聞いたな~
じぃじ17歳(1958年)昭和33年
東京タワーは、相次いで開局する各放送局の電波塔を一本化しようという構想で、総工費約30億円、延べ219,335人の人員を要し一年半を掛け完成された。
地上125mと223mには展望台が作られており、高さ333m(海抜高351m)でフランス・パリのエッフェル塔の312mより21m高く、当時世界一の高さの建造物となった。
引用:じゃね太郎の旅
長嶋茂雄デビューの話
今のヤクルトスワローズ、昔の国鉄スワローズに金田正一というものすごいピッチャーがいたのよ。
金田正一が「大学のぽっと出にそんなに打たれてたまるか」と言ってさ、長嶋が連続5三振で全然打てなかった。それが長嶋のデビューだった。
それでまた長嶋が人気になった。
なんで打てなかったのに人気になったの?
なぜ5連続三振なのに、人気になったのか
昔はプロ野球だけじゃなくて、6大学野球も人気だった。長嶋が大学生としてはじめてシーズン通して6本のホームランを打った。超特大のバッターだということで注目の的だった。
金田正一が超一流の選手ということ、長嶋もすごいバッターだということは皆知っていたから、長嶋のデビューが連続5三振だったけど人気があった。
ちょっとよく分からないけどいいや
※恐らく、デビュー前から長嶋茂雄はヒーローだったと言いたかったと解釈します。
長嶋茂雄のデビュー後
その後はバカスカ打って、3割打ってホームランも何十本も打ったのかな。その時新人王も獲ってね。ものすごい活躍したんだ。それで読売ジャイアンツが優勝したんだ。
その翌年かな、王が入るでしょ。王・長嶋がそろって9年間連続で日本一になった。今は連続で日本一になるなんてことはまず不可能でさ、9年間連続で日本一になった記録は絶対に破られねぇだろうってのがすごい。
それで日本のプロ野球では王・長嶋がずぬけて有名なの。今でも神様みたいな存在なんだよ。
ふむふむ。
横綱・栃錦の話
あ~栃錦ラジオで聞いてたんだけど大好きで、地方巡業に来た時にわざわざ見に行ったのを覚えてる。
栃錦の何が魅力ですか?
強かったんだよ!栃錦も若乃花もすごく強かったの。
今は貴乃花がすごく有名でしょ?その走りみたいなもんだよ。
極端に強いのが栃錦と若乃花。2人が力が衰えてきた頃白鳳と大鵬、その次に貴乃花・若乃花。ん~なんだ。
圧倒的に強さを見せ付けたのが栃錦と若乃花だったの。どちらも相撲取りとしては小さかった。だけど力と技で何回も優勝して、「栃若時代」ってのがすごい有名なんだ。
覚えてますね~
※吹き出しは、じぃじの個人的な見解です。