同居しているじぃじのブログ
naramoblogでは、今日のじぃじ を投稿しています。じぃじとは一緒に住んでいる80歳越えの父です。じぃじからは「くすっと元気になること」や、「新しい発見」を日々教わっています。じぃじのプロフィールはこちら
じぃじはどんな人生を生きていたかは知りませんが、どんな出来事があった人生を歩んできたのかをまとめてみました。じぃじが18~21歳までの簡単な時代背景です。
じぃじ18歳(1959年)昭和34年
南極で「タロ」と「ジロ」が生存あったね~
それもニュースだったね~
じぃじ19歳(1960年)昭和35年
ダッコちゃん思い出してる~
今は人種差別になるとかで、「ダッコちゃん」がなくなっちゃったんだけど。腕にくっつけて歩くのが、ものすごく流行ったんだよ。
ダッコちゃんの顔がまたユニークで可愛かったんだ~。女の子は大体「ダッコちゃん」腕にくっつけて歩いてた。
じぃじ20歳(1961年)昭和36年
柏戸と大鵬の話
栃若(栃錦と若乃花)の次に柏戸と大鵬がものすごく有名になったんだけど、力で言えば、柏戸よりも大鵬の方が強かったんだよ。
2人が対決すると柏戸の方が強いんだけど、優勝回数は圧倒的に大鵬の方が多かった。60何連勝とかさ。めちゃくちゃ強かった。
じぃじ21歳(1962年)昭和37年
キューバ危機について
キューバがカストロが指導者のキューバ改革で「共産主義」になったんだよ。すぐ近くのアメリカに「共産主義」をつぶされることを恐れ、ソ連の共産党書記長「フルシチョフ」に応援を頼んだの。
フルシチョフは「よーし分かった!と。アメリカから攻撃されないように核ミサイルを送るから、基地を作れ」と。
それを当時ケネディ大統領は、分かるかい?ケネディ大統領
あー知ってます(顔だけ)
当時ケネディ大統領が「これはキューバに核ミサイル持ってこられたら、ワシントンは1回で終わっちまう、これは大変だ」って言って、「もしキューバに核ミサイルを運ぶようだったら、こちらもそれなりに反撃する」と。
当時アメリカとソ連は核戦争にならないように、電話ができるようになってたと思うんだよ。たぶん電話だと思うんだよね。
ケネディはフルシチョフに通告したわけだ。さすがにフルシチョフも困るということで、「キューバの共産主義さえ認めれば核配備はしないよ」とケネディに約束したわけだ。
うん。
そのときの話がいまにも核戦争になりそうだって大騒ぎになって、それがキューバ危機。
じぃじはどんな感じで見てたの?
どんな感じもへったくれもね~子どもだもの
キューバ危機怖いね~とか話さず?
どーなっちまうんだ~とかさ、彼ら核戦争やったら終わりだなとか。何もできない訳だから。と思ってニュースを見てたの。
そしたらケネディの弟で頭良いのがいて、積極的に動いてキューバ危機を回避したんだ。
ビートルズについて
ビートルズはすごい人気と聞いてたけどね、そんな夢中にはならなかった。
ビートルズはすごいよ。あの人気たるやさ。そうだな、今の大谷翔平くらいかな。
全世界が、女の子がめちゃくちゃなんだから、男だって感動しちゃってるくらいだから。世界中がものすごかった。
じぃじはビートルズは?
俺は全然!俺が好きなのは春日八郎!
春日八郎が好きなのはもぅ分かったにゃん
※じぃじの発言はじぃじ個人の見解です。