同居しているじぃじのブログ
naramoblogでは、今日のじぃじ を投稿しています。じぃじとは一緒に住んでいる80歳越えの父です。じぃじからは「くすっと元気になること」や、「新しい発見」を日々教わっています。じぃじのプロフィールはこちら
じぃじはどんな人生を生きていたかは知りませんが、どんな出来事があった人生を歩んできたのかをまとめてみました。じぃじが26~28歳までの簡単な時代背景です。
じぃじ26歳(1967年)昭和42年
美濃部亮吉がうんと印象に残るのは、看護婦が労働がキツくて早めに退職して家に引きこもる人がいーっぱいたのよ。ところが現場は火の車で忙しいわけだ。
病院の方で看護婦さんを雇うように美濃部亮吉は手を回して、華々しくやったんだ。看護婦さんの労働条件を良くするようにきっかけをつくったのが美濃部亮吉。
美濃部 亮吉(みのべ りょうきち、1904年2月5日 – 1984年12月24日)は、日本のマルクス経済学者、政治家、教育者。東京都知事(第6・7・8代)、参議院議員(全国区、1期)を歴任。
Wikipediaより引用
じぃじ27歳(1968年)昭和43年
三億円事件について
これ、まだ犯人分かってねーのな
え?!(そーだったような気がする)
当時さ3億だろうが10億だろうが、軽自動車でお金を運んでたの。ところが運ぶ経路を分かったのがいるのな。
発煙筒を焚いて、車の下に投げ込んで、車の中の人が慌てて出たわけだ。近くにいた人が「家事だ危ない」と言うもんだから、車にいた人は車から離れたわけだ。
ジェラルミンのケースを引っ担いて、バイクで逃げたんだよ。結局犯人は捕まってない。3億円強盗し得!
ダメですよね?盗みはね?
誰も死ななかったから良いな
※強盗も犯罪です。
じぃじ28歳(1969年)昭和44年
ぎゃー!ここで日本記者クラブが結成された!
昨今の記者クラブは偏向報道が浮き彫りになってきて問題になっています。私も記者クラブの一員だったら確実に忖度すると思いますし、人間が関わっている以上はどのコンテンツも偏っていると思いながら情報に触れるのが大切なのかなと。
Youtube・インターネットなどの媒体で個人が発信できる場が地盤を固めています。記者クラブの皆様におかれましては、次世代の子供たちにとってより良くなる世界になるような発信をお願いしたいです。